こんにちは。
盆栽歴4年、川名慶彦です。
植物との対話から学ぶ
植物も我々人間と同じく、生きている。
強い樹となれば、何百年と生長し続ける。
『春夏秋冬』に敏感に順応していく植物の生長過程は、『盆栽』と愛でているとよく理解できるようになった。
「水やり三年」と言われる盆栽界
「水を与える」という単純な行為に思えても、植物によって、水の量も時期も変わってくる。
水を与えすぎると根が腐り、水が少なすぎると枯れる原因になる。
つまり、お腹いっぱいの時に目の前に大好物を出されても手が進まないように、『タイミング』が非常に重要になってくる。
「水やりを三年かけて学べるくらい、習得するには月日がかかる」と言われるほど、『水やる』は『光合成』よりも大事である。
そしてそれは、『盆栽』だけでなく、『人間』にも当てはまる。
比較することはナンセンス
学校、会社、社会……。
誰しも、『他人』という誰かと比較して優劣を評価し、評価され続けて生きている。
植物の世界はどうだろうか。
桜の木は梅の木を見て、「早く花が咲いてうらやましい!」とは思わないし、一喜一憂しない。
自分なりの『花』がきっと咲くと、信じているからだ。
しかし、感情に左右される『人間』は一喜一憂する。
嫉妬、憤怒、落胆など、マイナス思考が癖になっている人ほど、感情という『振り子』は大きく振れる。
そしてその振り子のダメージは、未来の自分に跳ね返ってくることを知らずに生きている。
自分の花にフォーカスできるか
結局のところ、「自分が自分という1本の木を、どのように、どれだけ生長させられるか」が重要で、他人の開花に嫉妬などしている場合ではないのだ。
なぜならそれは、他人にエネルギーという栄養を与えることになり、本来、自分へ向けなければならないエネルギーが減るからである。
自分→他人 ×
自分→自分 ○
翻って、自分の心が話している内容は『他人』がメインなのか、『自分』がメインなのか、振り返ってみよう。
まとめ
『人間』の成長過程は、『植物』の生長過程と酷似している。
一朝一夕に、きょう水を与えたから明日すぐ花が咲くというわけではなく、長期的に視る必要がある。
いかに、自然に調和したライフスタイルに近いか。
余計なものをそぎ落とし、『余白』を意図的につくり出すと、能力が活かしやすく、人生が生きやすくなるだろう。