30才になってからというもの、70~80代で活き活きと
人生を楽しんでいる人たちによく出くわすようになった。
(話し始めると5時間は過ぎる)
一般的には現役を引退している同世代とは明らかに
外見も心も若さを保っている、老人とは言えない紳士・婦人たち。
彼らに共通することは、結局は
「自分が好きなことを追求している」
という点に集約される。
時間を忘れるほどの”何か”は人によって異なるが、それに集中することで体感する時間の間隔が短くなり、結果、充足感を味わえるようになる。
それはまるで、自分だけ別世界に飛び、通常の時が流れる日常の世界に戻ってくるような夢の中を生きている感覚になる。
それを『夢空間』と呼ぶならば、意識が夢空間に飛んでいる時間が長ければ長いほど、現実で消費する時間感覚が短くなるといえる。
それはすなわち、肉体の細胞一つ一つに時間の流れを錯覚させる行為になり、それが外見の若々しさにつながってくる。
だから、心から幸福感を味わえる好きなことや、追求しがいのある”何か”を、早ければ早いうちに見つけるに越したことはない。
それだけ早く、人生を謳歌できるようになる。
その”何か”とは、ただ単に「いいな」と思えるレベルから
寝食を忘れるレベルまでなんでも良い。
だから、アクアリウム・陶芸・盆栽・散歩・読書・音楽鑑賞・映画鑑賞・茶・着物・人間的器が大きい人との交流など、アート以外にも僕は幸福感を味わえる行動(趣味)を意図的に創り出している。
「好きこそものの上手なれ」
と昔から言われるように夢中になれる”何か”を見つけられるか否かで、人生というフィールドでの楽しさの幅が肉体年齢関係なく変動するのは確実である。
そして僕は、夢空間に飛べる一つの行為『執筆』のために、
今この文章を書いているわけである。
想念を文章化するだけで、盆栽に水をやるだけで、散歩しながら空を仰ぐだけで幸福感を味わえるなんて、やはり幸せ者としか言いようがない。
●今回の『知覚動考』
「私は15才で学問に志し、30にして独り立ちした。
40になって迷わなくなり、50にして天命を知った。
60になり人の言葉を素直に聞けるようなり、70になって
思ったことを自由にやっても道を外すことはなくなった」
by 孔夫子