久しぶりに剣道の試合を見てきました、川名慶彦です。
ただ、強くなりたくて
中学一年の時から剣道を始めた僕は、「ただ強くなりたい」という一心で道場にも通うようになった。
(小学生の時はかなりの弱虫小僧だったので。笑)
つまり、通常の部活動で稽古した後に、別の場所にある道場でまた稽古すること。
その道場には、小学低学年から中学三年生までを中心に50人ほど在籍していた。
小学生に負ける悔しさ
剣道を始めたばかりの超初心者の僕は、小学生4年生にバコバコ部位を打たれていた。
剣道とはそれだけ経験がものをいう武道。
悔しさをバネに、「学校で稽古」「道場で小学生と稽古&中学生と稽古&師範と稽古」というまさしく剣道フルコースと言うべきシビアな教育を受けた(自分から)。
稽古後の食事では、腕が上がらず、茶碗を持つ手が震えていた。
3年間、剣道漬けの中学生だった。
スピードタイプか、パワータイプか
剣道のプレイスタイルは、体力や腕力で押すパワータイプか、足さばきや打ち込む速度で競うスピードタイプかに分かれる。
当時、さほど身長が高いわけでも筋肉質でもない僕は、自然とスピード重視の剣道スタイルになっていった。
なので、打ち込む速度や足さばきを徹底的に鍛えていった。
ガンガン前に出て打つ、猪突猛進。
そんな僕に道場の師範は、「先々の先を取れ」とアドバイスをしてくれた。
つまり、「ただ前に出まくって打つだけではなく、相手の動きを読むことも念頭に入れろ」ということだった。
バカみたいにガムシャラに打って出ていたので「目からウロコ」だったのを今でも覚えている。
そして、数年経ったある日、稽古中にこう教わった。
「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」
最初は何を意味しているか分からなかったが、こういうこと。
「試合での勝負で勝つことには不思議だと感じる勝利がある。しかし、負けることには不思議なことはなく、必ず敗因がある」
負ける原因は、稽古不足や精神力などたくさんあるだろうが、勝ちには「なぜ勝ったのか?」という明確なものがない場合がある。
その「不思議の勝ち」というものが、後に経験する究極精神領域ZONEに当てはまる。
※参照:【人生論】究極精神領域ZONE(ゾーン)の先にある空なる領域
まとめ
数年ぶりに剣道の大会を見に行った。
熱気と活気を感じ、学生時代の想い出が蘇った。
「29才以下の部」「30代の部」「40代の部」「50代の部」と分かれた試合形式で、ずっと見入っていた。
そして、中学生の時にかなり熟読していた剣道漫画を読みたくなった。笑
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