「どう見られるかより、どう生きるか」
このことが腑に落ちているからか、
他人の目を気にして行動を制御することは皆無である。
「絵を描くアーティストです」
と初対面の人に自己紹介すると、
「どこの美大の生徒さん?」
と聞かれる。
美大に通ったことはないし、これからも行くことはない。
その理由はいたって単純で、美術大学を卒業したから
必ず芸術でメシを食えるわけではないからだ。
医者になろうと願えば、医大を卒業すること。
弁護士になろうと願えば、法科大学院を卒業すること。
看護師になろうと願えば、看護学校を卒業すること。
これらは学校と職業が直結しているから、よほど道をはずさない限り、十中八九、望む職業に辿り着けるであろう。
しかし、芸術は特殊である。
油絵を美大で学んだからといって、画家として生きることが保証されているわけでもない。
陶芸を美大で学んだからといって、陶芸家として生きることが保証されているわけでもない。
彫刻を美大で学んだからといって、彫刻家として生きることが保証されているわけでもない。
音楽も同様である。
ピアノやバイオリンを音大で学んだとしても、プロの音楽家として生きていけるわけでもない。
ではなぜ、芸術関係の学校が存在するのだろうか?
なぜ、芸術家はいつの時代も存在しているのだろうか?
それはこの世界に、『芸術』が必要だから。
必ずそれで生きれる保証がない『芸術』だからこそ行き着ける、特別な領域があるから。
そして、目新しい創造物に人は理解を超えた『何か』を感じ、
人生を変えるような刺激を受けることも可能になってくる。
それは心の癒やしであり、人間力向上のきっかけにつながる。
『教育』ほど直接的にアプローチする力はないが、間接的に時間をかけて響いてくるのもが『芸術』であり、それを創造させる人物が『芸術家』である。
まぶしく光る閃光ような強い影響力を持つ芸術家は、絵画や陶器、書などの創造物に高次元のエネルギーを反映させることができる。
それを人が無意識にでも感じ取れるのは、その創造物から微細でクリアな粒子が発生して放射しているからだ。
科学を超える現象。
物質をも転換させる超常現象。
それを意図的に起こすことが可能となる。
一般常識では考えられないそのようなことが、芸術の分野では
可能であることに深く追求する意義がある。
そういった目的で、僕は『芸術』と『起業』を融合させ、光の創造物を生み出し続けている。
そして最終的には、『己』という最高の芸術品を完成させるのである。
●今回の『知覚動考』
芸術の本質は見えるものをそのまま再現するのではなく
見えるようにすることにある。
by パウル・クレー(教育者・画家)