こんにちは。芸術起業家・川名慶彦です。

『スプレーアート』を武器にした理由を、欠点も含めてまとめていこう。

 

ガキの落書きという先入観

 

「シャッターとかに落書きされてるアレね」

「公共物に勝手に描くのは違法だよ」

 

約7年前、『スプレーアート』という言葉を出すとそういう反応ばかりだった。

「スプレー缶を使う=落書き」という先入観が根付いていた。

 

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芸術の領域まで昇華させられる欧米やヨーロッパなど海外にはあっても、芸術に閉鎖的な日本には確立されていなかった。

 

だからこそ、先が見えない。

だからこそ、誰も進もうとはしないジャンル。

 

油絵画・水彩画・日本画・水墨画など、先人が創った道を進めば当然、「出る杭は打たれる」ことはない。

 

「すでに道ができている道を進むよりも、道を創っていく方が楽しい」

 

そう考えていた当時の僕は、難しい背景が見えていたからこそ、あえて、難しいジャンルに参入しようと思っていた。

(難易度が高いほど燃える性格なので。笑)

 

 

道具は同じでもジャンルは差別化させる

 

シャッターやガードレール下に、崩した文字のようなカタチをスプレーで吹き付ける『グラフィティーアート』。

 

それを本格的にやっていたわけではないのに、そうだと勘違いされる「拭い切れない悩み」が強くあった。

 

だから、その『グラフィティーアート』とキャンバスに吹き付ける『スプレーアート』を差別化させることは必須だった。

※日テレ『嵐にしやがれ』ではどちらも松潤に教えたがテレビ的に『スプレーアート』がメインだった

 

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アート業界に革命的一手を打つ

 

つまり、落書き的なイメージではなく

「スプレーアート!? フタとか使って早く描くやつ?」

そういった反応にさせる必要があったわけだ。

 

そのために手っ取り早い方法が、動きでわかる『テレビ』で披露することと、年配の人が信用している『新聞』に掲載されること。

 

勢いだけで『脱サラ』した当時23才の金なしコネなし才能なしの僕は、そう漠然と思い描いていた。

 

芸能事務所に所属せずに、無名アーティストがコネクションなしでメディア出演できるなんて、確信はなかったけれど。

 

 

悪イメージの払拭

 

「スプレー缶を使う」という表現だけで、すぐに『落書き』というイメージが脳裏によぎってしまう。

 

一度固定化されたイメージを払拭することの難しさは、サラリーマン時代に嫌というほど味わっていた。

 

そのためにまずは、プロフィールを前面に出して少しでも信用してもらうことが第一だった。

 

「大学は法学部を卒業」と公開することで、「法律をわかっている上でスプレー缶を使うならば、落書きではないだろう」と思ってもらえるかもしれない。

 

「IT企業のシステムエンジニアとして勤務していた」と公開することで、「普通にサラリーマンとして働いていたがアーティストに転身したおもしろいやつ」と思ってもらえるかもしれない。

 

海外にはない特殊な障壁がある日本での新規開拓には、そういった経歴も大企業になるほど見てくるため、細かく考えてブランディングしていった。

 

 

心身を突き動かすモノ

 

結果、メディアも含め多くの人のおかげで

「スプレーアート!? フタとか使って早く描くやつ?」

という反応になってきた。

 

うつ病になりかけのサラリーマン時代、電撃が走るほど『スプレーアート』に感動し、「スプレーアートを日本に広める」という目的が僕の心身を突き動かした。

 

そして、(やりたくはないが)教材を制作したり、自分がメディアという表舞台に立つことで、それが実現していった。

 

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「テレビで見たことある!」

「路上で見たことある!」

「インターネットの動画で見たことある!」

 

現在、子どもも大人もこういった反応は感動のシェアの結果であり、僕なりの『成幸』の一つになった。

 

ましてや、「新しい波を起こしたい」と老舗の大手企業や社会貢献活動にリンクする団体からの依頼で新しい融合ができるなんて、嬉しいことこの上ない。

 

 

まとめ

 

だから、『ブラック企業』にも感謝、『食パン貧乏生活』にも感謝、『生きる希望を失った時』にも感謝、結局、すべてに感謝している。

 

それらの経験有りきの『今』だから。

 

 

人生は応用問題

 

真面目に学校で学んできた人ほど、方法を重視するように教育されているため、方法が通用しない時に応用が効かなくなる。

 

「人生は応用問題の連続である」

いくら基本問題を解き続けても、いや、基本問題は応用問題を解くためにあると言えるのではないだろうか。

 

応用問題を解けない人は他人や環境のせいにしたり、マイナスの言葉を吐くことでさらに人生が低下していく。

(いや、それすら気づいてもいない)

 

 

「あなただからできたことですよね?」

「そのアートだからできたことですよね?」

「時間もお金も人脈もないから無理ですよね?」

 

難易度が高い新規開拓を経験した人は苦労が身にしみているため、こういったことは言えない。

 

定型文的な批判にもならない皮肉にまともに対応してる暇がない30代、ビジョンを真剣に現実化させる意志を持った人にエネルギーを注いでいこうと思う。

 

先入観のない若者の方が思考の柔軟性があって、「夢へ走りながら学ぶ」ことが可能だから。

 

それが可能な『エキス』なるものを電子書籍としてまとめている。

 

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●今回の『知覚動考』

 

能力や才能はそれを認め活用してくれる能力や才能がなければ成り立たない。

by 池田満寿夫

 

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