「ライバルに勝とう」
そういった競争意識があるのは、他人と比較して
教育される学校教育が根本となっている。
競争での勝利から生まれた優越感を得たことで、
さらに闘争心が高まり、勝つことへの執着心が芽生える。
そう脳に刷り込ませている。
しかし、これに快感を覚えてしまうと、無限ループから抜け出せなくなる。
常に焦燥感とライバルからの圧力に追われる日々は、楽しいだろうか。
成績や経歴などで客観的に比較できたとしても、
見えづらい心での比較はできない。
生まれた環境、育った環境が同じである人は、兄弟くらいであろう。
兄弟といえども、才能の種は当然異なるので、
やはり他者と比べることはナンセンスだといえる。
*
「自分がどれだけ内なる自分と向き合っているか」
これが本来、他人との競争で学ぶべきことではないだろうか。
しかし、競争に執着して勝ちへのこだわりを持ち続けることは
本当のステージでは無意味だということに、気づく人は少ない。
ライバルと競い合っている人ほど、狭い視野で
生きていることを自覚していないのである。
ライバル以前に、勝つべき人はほかにいる。
それは、ライバルという誰か他人ではなく、自分自身である。
全能力値が同じである人物。
すなわち、まぎれもなく己。
己との修練の領域には、限界はない。
常にアップグレードしていくほど、過去の自分と差が開いていく。
人生は他者と競い合って勝つゲームではない。
己と向き合って修練によって、過去の自分に克つ舞台である。
だから、最強のライバルは己なのだ。
*
「1年前の自分と比べて、どれだけ進化できているだろうか?」
こう自分に問う。
比べてもたいして何も変わっていなければ、自分に負けている。
年を重ねて変化している人間に、現状維持なんてものはない。
それは幻想であって、進化か退化かしか存在しないからだ。
いつでも進化し続け、どんな時でも己に克つ人で在りたいものである。