「ライバルに勝とう」

そういった競争意識があるのは、他人と比較して
教育される学校教育が根本となっている。

 

競争での勝利から生まれた優越感を得たことで、
さらに闘争心が高まり、勝つことへの執着心が芽生える。

そう脳に刷り込ませている。

 

しかし、これに快感を覚えてしまうと、無限ループから抜け出せなくなる。

常に焦燥感とライバルからの圧力に追われる日々は、楽しいだろうか。

 

成績や経歴などで客観的に比較できたとしても、
見えづらい心での比較はできない。

 

生まれた環境、育った環境が同じである人は、兄弟くらいであろう。

兄弟といえども、才能の種は当然異なるので、
やはり他者と比べることはナンセンスだといえる。

 

 

「自分がどれだけ内なる自分と向き合っているか」

これが本来、他人との競争で学ぶべきことではないだろうか。

 

しかし、競争に執着して勝ちへのこだわりを持ち続けることは
本当のステージでは無意味だということに、気づく人は少ない。

 

ライバルと競い合っている人ほど、狭い視野で
生きていることを自覚していないのである。

 

ライバル以前に、勝つべき人はほかにいる。

それは、ライバルという誰か他人ではなく、自分自身である。

 

全能力値が同じである人物。

すなわち、まぎれもなく己。

 

己との修練の領域には、限界はない。

常にアップグレードしていくほど、過去の自分と差が開いていく。

 

人生は他者と競い合って勝つゲームではない。

己と向き合って修練によって、過去の自分に克つ舞台である。

 

だから、最強のライバルは己なのだ。

 

 

「1年前の自分と比べて、どれだけ進化できているだろうか?」

こう自分に問う。

 

比べてもたいして何も変わっていなければ、自分に負けている。

 

年を重ねて変化している人間に、現状維持なんてものはない。

それは幻想であって、進化か退化かしか存在しないからだ。

 

いつでも進化し続け、どんな時でも己に克つ人で在りたいものである。

 

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