盆栽をやっていることもあり、最近は特に「自分には光る部分がない」となげく、ただの石ころ的な人間に魅力を感じるようになった。

●石ころを宝石に化すプロデュース能力

・現代社会に適合していない or 適合しようとしない

・過去に強烈な経験をしている

・10~20代

・当たり前なことができないずば抜けた超凡人

これらが当てはまる人は、カスレベルの過去の自分を見ているかのようで、おもしろい。

 

しかも、石ころを練磨次第で宝石のごとくキラリと輝くビジョンが見えるからさらにおもしろい。

 

しかし、原石にも関わらず、自分がただの『石ころ』だと思い込んでいることは、あまりにももったいないと思ってしまう。

 

自分で可能性を潰してしまうことと同様。

だからといって、それに気づいた人がただ手を差し伸べればダイヤモンドまで輝くほど、人の人生は単純ではない。

 

「自分は意識次第で簡単に変えられるが、他人を変えることは容易ではない」

電子書籍「テレビに出る技術」に書いたが、プロデューサーの9割が『女性』だ。

 

それは、人を支える裏方の仕事はもちろん元々の能力は男性よりも圧倒的に女性の方が高いことを意味する。

 

男性は集中的にエネルギーを注ぐことは得意だが、女性は分散的にエネルギーを注ぐことが得意である。

 

「他人をこうすれば上手くいく」

そういう思考をせざるを得ないプロデューサーはやはり女性が多く、適任であることは間違いない。

 

だからこそ、体育会系でオラオラ系の元ITベンチャー企業の生意気で自信過剰なサラリーマンだった僕は『女性の性質』を吸収することを意識してきた。

 

最近はそういう『黒子』的な存在に魅力を感じるようになってきたので、わざわざ無名の女性講師に対面で会ったりしている。(素性は明かさず)

 

なぜそんなことをするかというと、『裏』があってこそ目に見える『表』があるからだ。

 

テレビスタジオの『スポットライト』を浴びた人なら

「黒子の努力がスポットライトの電力になっている」

ということが非常に身にしみる。その結果、黒子の有り難みを感じるようになる。

 

目立たない黒子という『影』があるからこそ、目立つ演者に『光』が集まるわけである。

 

20代は万人受けする影響力を持つために、『光』だけを求めて模索しながら夢をかなえてきたが、30代は『影』を活かして陰陽のメリハリをつけた存在になろうと思う。

 

その前に、現実世界で『光』の要素となるものを、体系化して公開することが役目だと考えている。

 

「社会的奴隷のクサリをはずすステップ」

「お金という生き物の正しい循環育成法」

「睡眠を効果的に進化に使う技術」

「生命エネルギーを倍増して自由に夢をかなえる法」

など、学校や家庭では決して教えてはくれないが、人生を豊かにしてくれることばかり身に付けてきた。

 

自分が超凡人だからこそ身に付けたことであって、それは必然と、天才を追い越す武器にもなっている。

 

人生というステージは、凡人でも方向性次第で天才を超えられるようになれるから、おもしろい。

 

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