こんにちは、芸術起業家の川名慶彦です。
2人の人間性も絵画も大好きです。
なぜ、ピカソは人気者なのか?
『凡人』の僕が美術の歴史から見ても、ピカソもゴッホも画家として『天才』であることは間違いない。
しかし、『画家』として成功したと見られるのは『ピカソ』だと誰もが思うだろう。
世界中の美術館に展示されていて、生前も死後もピカソの絵画は超高額な値が付いていることは周知の事実である。
また、父親がピカソの才能を目の当たりにして自ら画家の道を諦めるほど、ピカソは幼少時代から天才画家であった。
「酒のボトルへの絵画や女性問題でも名が知られるようにセルフブランディング(自己価値向上)していった」マーケティング思考からも一流だと見られる。
非常に頭がキレる左脳と、絵画を創造する右脳が高次元でマッチングされた超人『ピカソ』。
一方、絵画から心の闇が醸し出されている『ゴッホ』は、メンタルが貧弱だったと思われる。
自らの耳を切り落としたり、ピストル自殺でこの世を去るヒステリックな画家であると言わざるを得ない。
そして、ゴッホは「生きている間に絵が1枚しか売れなかった」ことも有名な話だ。
ゴッホの死後、代表作『ひまわり』で知られるとおり、高額で取引されるようになった。
画家としてなにが成功・失敗なのか?
人の生き方と同様、芸術の世界もこれといって正解はない。
一般的な成功を端的に言うならば、「絵が売れて名前も作品も認知度が高まること」である。
しかし、23才の無名時代の僕はそう思えたが、現在ではまったく違う価値観を持っている。
それは下記のような疑問を持つようになったから。
<ピカソの人生から学ぶ>
・巨額な富を手に入れたら、本当に成功なのか?
・羨望の眼差しで見られる地位を手に入れたら、本当に成功なのか?
・スポットライトを浴びる拍手喝采や褒賞や名声を手に入れたら、本当に成功なのか?
・絵を食べていける状態を手に入れたら、本当に成功なのか?
・愛人を囲う状態を手に入れたら、本当に成功なのか?
<ゴッホの人生から学ぶ>
・絵が売れないから、本当に失敗なのか?
・短命だから、本当に失敗なのか?
・貧乏だから、本当に失敗なのか?
・ライスワーク(食事するための仕事)と兼用することは、本当に失敗なのか?
・自殺するほど精神を削ることが、本当に失敗なのか?
……
価値観は人それぞれだが結局は、「何を優先的に見るか」で答えが変わってくる。
物質的な成功を重視するのか、精神的な成功を重視するのか。
物質的な成功を目指した『ピカソ』、精神的な成功を目指した『ゴッホ』、どちらも自分自身からすれば『成幸』であると思う。
ようは、そうした歴史から「自分ならどうするか?」と考えて方向を定めることが大切なのではないだろうか。
生前に評価されたいか、死後に評価されたいか
ピカソとゴッホの大きな違いは、評価された『時代』にある。
世界で美味とされる食事を楽しみにながら、多くの人に囲まれて豪遊できるほど画家として評価された『ピカソ』。
絵が評価されずまったく売れなくても、すたすら独自の世界観を絵画で表現した『ゴッホ』。
どちらかといえばやはり、『ピカソ』の人生のように自分が生きているうちに評価される方がいい。
(どちらの人生も送りたくはないが、贅沢することに興味はないので精神的には『ゴッホ』寄りか)
その理由は、戦略的にマスメディアに取り上げられるように右脳と左脳を融合させている『ピカソ』の思想に共感できるからであって、心身を極限まで痛めつけてまで絵画で表現しようとする『ゴッホ』に共感できないから。
※僕のタイプ別職業分析からすると、「ピカソは芸術起業家」で「ゴッホは職人」だと言える。
まとめ
脚光を浴びることも芸術家としての成幸の一部だと考える僕の価値観の極論を言えば、こうなる。
「生きがいと幸福を感じられる分野・対象へ、生命エネルギーを燃焼・循環させられるか否か」
もちろん、一生涯かけてその分野・対象を見つける人もいれば、見つからない人もいる。
一生涯かけてそこにエネルギーを燃焼される人もいれば、不完全燃焼の人もいる。
そして循環させる人もいれば、循環させられない人もいる。
それによって、目に見える成果・結果を出せる人もいれば、出せない人もいる。
それも人生、これも人生。
人生はいつでも、学びの場。
たとえどんな状態になろうとも、呼吸して心臓が動いている最中は「生命の尊さ」を感じられ、学びによって「魂の練磨」ができる資格がある。
電子書籍15冊目の表紙
現在、執筆中の電子書籍「宇宙と人生を豊かにする9つの偉人名言 ~日本人編~」では、僕が尊敬している9人の偉人を紹介している。
表紙カバーはこんな感じ。
コメントを投稿するにはログインしてください。