「一日に何回、食事していますか?」

本にも健康について説いているため、よくこの質問をされる。

 

「基本は一日二食ですね」

そう表向きは答えているが、実際のところ、食事は必須ではない。

 

僕は食事する行為や食欲に一般的な興味はなく、「どうせ食べるならどれを選ぼうか」という意識が先決になっている。

 

「仙人・聖者は、霞(かすみ)を食う」

そう昔から言われるが、確かに霞(=空気)のみを食べて生きることは可能である。

 

25才の春。

7日間、固形物を断ってテストしてみて、「本当に空気中のエネルギーを取り入れれば食事なしで生きられるんだな」と腑に落ちた。

 

そして、「このまま続けたら、(一般社会に)戻ってこれなくなるな」と悟った。

 

現在は、3日間断食だったり、水分と空気のみで過ごしたりすることは、たまにやっている。

本の執筆活動や超大作の絵を制作する時は、さらにストイックに実践している。

実はこれを書いている日は、自分で淹れた厳選のお茶のみしか飲んでいない。

 

こういうことを他人に話すと、たまに命の心配をされるが、人間、そう簡単に餓死できないようにできているのだ。(もちろん空気を食べることもできなければ死ぬが)

 

最初の質問に戻ろう。

食事は確かに、社会的に生きる上で必要だといえる。

 

「現実世界を生きるためには、人と関わるためには食事の場が必要なので、あえて食事している」

これがクチに出さない、僕の真の回答になる。

 

第一の理由は、一般的な食事は、量が多いから。

固形物をいきなり摂取すると、体が驚いてしまう。

消化のために胃が全力が働くために、エネルギーの消耗にもつながる。

だから、少量でも胃を動かしておく。ジョギング程度に。

 

第二に、細胞を老化させる食事が多いから。

摂れば摂るほど、疲れやすくなり、精神も歪んでくる要素がふんだんに入っているものばかりである。

それを最小限に抑えるには、自分で食するものを揃えて料理をするしかない。

 

第三に、能力が開花するものも微量ながら存在するから。

塩や葉っぱ、水など、細胞を活性化させる光のようなものは、極稀にある。

それは万人が手に入るスーパーマーケットには確実に置いていないものなので、一般的には広まっていない。

というか、それを知る術(すべ)がない。

 

メディアで取り上げる表面的な健康法では、ここを掘り下げて説けないことも問題ではある。

それは大人の事情というか、世界の事情というべきだろうか。

すべてを公にはできないが、一般的な食事をする人が病気になる可能性が高く、少食の人が健康なのはきちんとした裏付けがあるわけだ。

 

 

健康と芸術。

分野としてはまったく関連がないように見えるが、根っこで通じている。

 

健康のレベルを上げれば、芸術のレベルも上がる。

芸術のレベルが上がれば、より高い芸術作品を生み出せる。

生みの親である芸術家にとっては、それほど感極まることはない。

 

自分自身でさえ、感嘆の声を上げるほどの芸術作品は、一生に何度あるだろうか。

それを繰り返し、バージョンアップできることを体感したら、「誰でも実践する」と言い切れる。

 

健康は芸術だけでなく、人生の土台になっている。

そうである以上、どんな仕事にでも直結しているということは言うまでもない。

 

現代では、ノーマル状態でマイナスになっている人があまりにも多すぎる。

それでは能力が開花することはもちろん、夢がかなうことはまずありえない。

だから、一旦、プラスに傾けるために、真の食(光)を体内に取り込むのだ。

 

そうすれば、己が光と化すことに気づく日が、来るであろう。

 

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