学校では、自分に合ったいい先生も、合わない難しい先生とも出会ったりする。
義務教育期間であれば、学校にほぼ強制的に通うことになるが、大人になってからは社会という荒波の世界で学ぶしかない。
そこには、正しい情報も間違った情報も混在している。
玉石混淆のその世界では、ヤバイくらい危険なことだらけ。
そのヤバイものナンバーワンが『情報』である。
そもそも情報自体に善悪はないが、それを処理する者の心が生き方として反映されている。
出会った人や尊敬できる先生に教わった情報が「間違っている」というケースは落とし穴になる。
情報過多の現代社会では、先生が学んだそのまた先生も間違った教えを受けている可能性が非常に高く、そんな学校や師弟制度が多い。
人生ではこれ以上に恐ろしいことはない。
なぜならば、人間は『情報』を無意識に蓄積して時代に対応していく生き物だから。
無意識的情報刷り込み=『洗脳』
いくら正しい教育を受けたとしても、学校外で間違った教育・不良の友だちと時間を共有していたら当然、目標達成できない。
隠れてタバコを吸おうが、万引きしようが、カツアゲされようが、その場に指導者がいなかったらそれを知る由もない。
そこに、人を成長させるという教育の難しさがある。
経営者や教育者を含め、他人を成長・進化させる責任を負っている人は常に身にしみている。
そして、いくら目に付かない場所で教育から反したことをしていたとしても、鋭い指導者ならば生徒がまとっている『空気感』でそれを見抜いてしまうのが、当事者としてはなんとも言えない。
「他人の目がない場所で、どれだけ本気を出せるか」
僕は16才の高校生時代から、授業中は漫画やゲームで遊び、テストでは高得点を取るなど
「努力は人に見せないでやるが、結果だけは大いに見せる」という結果至上主義をモットーに今でも突き進んでいる。
いつの時代も、結果にシビアになれるかどうかで、圧倒的に目標達成の速度が違う。
目指す人生の『山』を見つけたならば、そこへ到達するための『道』をひたすらコツコツと歩むのみ。
変動あるモチベーションに左右されて前進できないならば、『道』を先行く『師』に聞けばショートカットを教えてくれるはず。
そんな『先導者』に出会えるか否か、『道』を間違うことなく歩めているか否かで、その『山』から見る景色が虹色にも灰色にも変化していく。
どんなに苦労しようが、楽をしようが、到達する者だけが観れる特別な景色を飽きるほど眺めて人生を楽しみたいものだ。
落とし穴にハマって死にそうになっても、勇気と覚悟だけで笑い話にできるように這い上がる。
どんな過程をたどったとしても、やっぱり人生という『登山』は面白い。
●今回の『知覚動考』
人生に必要なのは、戦略とそれを成し遂げる覚悟。
「これでもか!」と思うほど結果をシビアに、行動し続ける。
あとはただ、天の判断を待つのみ。