暑いベトナムからこんにちは、川名慶彦です。

今回もぶっ飛んだリアルなストーリー。

 

パトカーが飛んでくる問題児2人の心を斬る

 

A(依頼者)「中学3年生と中学1年生の2人、問題の子がいるんですがなんとかなりませんか?」

Y(僕)「では、なんとかしましょうか」

A「包丁を振り回して警察沙汰にまでなっているので手におえないんです。殺人とか自殺までに発展する前になんとかくい止めたく……」

Y「(え?刺してくるかもなの?)ふむ……」

A「私でも親でも親戚でも対処できません。その2人に直接会っていただけますでしょうか?」

Y「(モンスターがきたか)会いましょう……(^^)b」

 

内心、「とんでもない相談がきたな」と思いながら応えた。

 

しかし、「解決できる」という根拠なき自信があった。

 

それは決して、剣道4段だから包丁に対抗し、護身のために竹刀や木刀を持っていくわけではない。

 

 

無刀という最強武器

 

無刀。

 

「柳生流・剣の聖人」と呼ばれた柳生石舟斎が悟った、『無刀』という思想。

 

「天地と我が和する無刀」はいわば、何も持っていない両手という2本の刀を扱うということ。

 

武器なんて、いらない。

相手に勝とうとさえ、思わない。

本当の無敵である剣理の頂。

 

それは、全身からあふれ出る『気勢』と『心眼』で真っ向から対面するということ。

 

殺傷する武器を持つ相手には見えない壁で制圧し、格下や幼子には愛で包み込む。

 

そんなことが現代で体現できるなら、大蛇はもちろん、鬼すら腰を抜かす。

 

 

心のトゲを斬れるなら

 

先日、その依頼主と一緒に某高層マンションに住んでいる問題の女の子2人に会いに行った。

 

見た目は普通の10代の女の子だが、心には相当トゲが刺さっているようだった。

 

男の子ならともかく、感情の起伏が激しい思春期の不登校児の女の子が相手とは正直、心を読むのが難しく、対応しづらい。

 

着物をまとった僕と対峙して、彼女たちは何を感じただろうか。

 

食事しながらアートについて、親について、趣味について、いろんなことを話した。

 

「この人なら、自分を分かってくれるかも……」

一瞬でも、そう思ってもらえたら嬉しい。

 

彼女たちと初めて目が合ってから2時間後、玄関で手を振りながら見送ってくれていた。

 

 

まとめ

 

結局のところ、どんな無理難題だとしても「現状を打破したい」という気持ちさえ本人が持っていれば、その壁をぶち破るキッカケを渡すことができる。

 

それを使って打破するかどうかは、己の実力次第。

 

「扉までは案内するが、扉を開けられるのはあなたしかいない」ということ。

 

アドバイスを無視しようが、我流で実践しようが、愚直に実践しようが、人生が前進できれば結果オーライではないだろうか。

 

常日頃、磨いている影響力という武器を、「心を斬る無刀」を操れる「無念無想の境地」へと昇華させるということ。

 

それがたどり着くべき精神領域。頂上。

 

これを再確認できた濃い2時間だった。

 

問題児2人と出逢えて、逆に感謝したい。

 

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