「こういう自分になりたい……」
意識的に、または無意識的に、理想像を思い描きながら人は、毎日を過ごしている。
本当にやりたい仕事と、仕方なくやっている仕事。
好きな仕事と、嫌いな仕事。
かなえたい夢、夢になかなか近づけない現実。
いろんなシーンを僕らは、頭の中でシミュレーションしている。
しかし、現実はそう簡単に変わるものではない。
理想なんて、バカげている。
夢なんて、絶対かなわない。
成功できるのは、ほんのひとにぎりの人だけ。
そう言う人の、言葉を信じ込んではいけない。
否定的要素を脳に刷り込めば刷り込むほど、理想と現実のギャップは広がっていく。
「思考は現実化する」という名言は真理である。
しかし、思考した人全員が全員、体現できるほど、この世は甘くはないのである。
そこで、覚悟の深さが問われる。
「まぁ別にいいか」
「あとでやればいいや」
「どうせ自分には無理だし」
そういった思いが少しでもあるならば、空気として人に伝わるものだ。
心を見抜く人と対峙したならば、それは確実に見抜かれる。
真に根底から進化して人生をプラスに変えるためには、表層意識を潜在意識まで落とし込まなければならない。
そう言葉で言われて頭で理解しても、それを体現するのは容易ではない。
もし、簡単にできるようになるくらいならば、誰もが成功者になっている。
地球上に悩みという種がなくなっているはずである。
ようは、そこに生まれるギャップをどう詰められるかだ。
*
特殊なライフスタイルがゆえに、実に千差万別、星の数ほど出会ってきた。
そして、10~80代の男女と真正面から心の目で対峙してみて、こう思う。
「進化には、期限があるな」と。
人は年を重ねるごとに、概念が定まってくる。
固定化されることで、新しい概念を入れる余地がなくなってくる。
それが進化の妨げになっている場合が、大いにあるのだ。
例えば、毎朝、トーストとミルクを食べることを40年続けて習慣化された人に健康論を伝えても、「今更変えられない」という反応を示す。
または、サラリーマンを20年続けてきた人に、起業論を伝えても、「リスクが大きくて怖い」という反応を示す。
つまりは、限界ラインを自分で即決してしまう自分が、完成されているわけである。
本音をいうと、進化の期限は、実年齢(肉体年齢)35才前後までだと、ひしひしと感じている。
それ以降になると、劇的な進化は見込めなくなる。
しかし、人によっては、不可能でない。
進化の分岐点は、「素直さがあるかどうか」。
これに集約される。
実際に、35才以上で劇的な進化を成した人は、自分より年下の人物が啓蒙した教えであっても、それを愚直に実践している。
ただ実践すればレベルアップできるものの、それを素直に飲み込めない人も多いのだ。
それは、非常にもったいない。
素直さがある人は実践を繰り返し、確実に人間的に成長していく。
実践していない人と比べれば、間違いなく経験値が上がる。
経験値が上がると、出会う人や現象が変わってくる。
そうなると、価値観が変わった自分に出会い、人生のステージが上がっていることに気づくだろう。
人生という山脈は、上に登れば登るほど人数は少なくなる。
しかしそこには、経験を重ねた、レベルの高い人だけがいる。
それは、進化して自ら登らないと、真に理解はできない。
でも確実にその領域は存在していて、そこから眺める景色や感情は圧倒的なものである。
それは、酸素の薄い雪山を登り切った時に感じる、幸福感に似ている。
すべてを包み込む。
真に満たされるということ。
人生の山を登るべく進化するか否か、それは、己の覚悟の深さに直結しているのである。
どうせ登るならば、山頂で青い空を仰ぎながら、寝転がりたいものだ。
*追記
ここでいう進化の意味は「精神的な進化」を指している。
「成長」とは年齢関係なく可能だが、精神的に飛躍することには年齢制限があるため、「進化の期限」としているのだ。
研究者が書く学術的論文と比べれば通用しない文章だと思うが、僕はあくまで本屋に並ぶ一般書籍の作家・著者というレベルなので、「いかに読み手の心に残るか」を意識して文章化している。
また、期限内に一度でも進化することができれば、肉体が消滅するまで進化することが可能になる。