こんにちは。川名慶彦です。
神社で初めて盆栽を展示しました。
なぜ、盆栽を展示したのか?
なんとなく鉢と木が好きな僕は、自然とその両方がある『盆栽』を手に取るようになった。
それから盆栽園や庭園など周るようになり、気づけば20鉢ほど自作していた。
そして、僕の2倍以上の高齢の方と、盆栽を通して人生の話をしていて毎度思うことがある。
それは、「チャレンジこそ人生の醍醐味である」ということ。
多くの人は歳を重ねれば重ねるほど、柔軟性がなくなっていき、新しいことをやらなくなっていく。
悪く言えば、「人生、暇つぶし状態」になりかねない。
それは精神も保守的な人間になっていくことでもあり、毎日の習慣さえこなせば生きられる現代、『生きがい』を感じづらくなっていることでもある。
だからこそ、僕は生涯、チャレンジし続けたい。
ありがたいことに、チャレンジを続ける70代の紳士たちが盆栽ド素人の僕に直接その精神を教えてくれたから。
ましてや、厳しい修行をしてプロとして何十年も続けてきた彼らからしたら、「情熱だけある30才の無知なクソガキ」にしか見えないのにも関わらず。
※みんなで一席ずつ撮影してから展示
スタートしたら、最後まで突っ走れ
「チャレンジこそ人生の醍醐味である」
今回、盆栽歴1年というド素人の僕が「48回目」という歴史ある展示会に陳列させていただいた理由は、まさしくそれ。
恥をかこうが、陰口を叩かれようが、何があろうと、とりあえずやりきってしまう。
大概の人は、暗黙のルールに恐れて「何もしないことを選択する」ようになるからだ。
もちろん、ある程度は知識を取り入れて望むことは当然のことだが、実践でしか学べないことの方が多い。
そういった業界では、足を踏み入れて「五感で盗んで会得せよ」が暗黙のルールになっている。
職人気質の人が多いこのような分野では、実際に行動してその域に踏み込んだ者だけが残っていく。
それが分かっているからあえて、未知の世界に踏み込む。
当然、30代の盆栽ド素人は自分しかいないが、現在の自信作を出してみる。
そして周りの反応は、展示してから耳に入れればいい。
日本かまつか、金華山がまずみ
今回、個性的な実が付いている『日本かまつか』と、小ぶりの葉としっかりした幹がある『金華山がまずみ』をメインに展示した。
「1年前から展示するものは決めて育てる」
そういうことも初めて知った。
(僕のようにぶっつけ本番的な出展はリスクが高い。笑)
まとめ
初の盆栽展示が『神社』だということもおもしろく、縁を感じる。
今後はもちろん、おそらく生涯、『盆栽』というアート作品を創造していくと思う。
僕にとって、盆栽との対話から学べることが、学び取れることが多いと実感しているから。
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