剣道の稽古で腕が内出血だらけの川名慶彦です。

剣豪・宮本武蔵の『五輪書』は無駄なく簡潔に兵法が説いてあって、非常に読み手のレベルが問われますね。

 

相手の動きが読めるなら

 

「メンを打ちに行ったらそれに合わせて相手はコテを打ちにくるだろう。それに合わせてコテ打ちを空振りさせるように素早く振りかぶり即座にメンを打ち込もう」

 

まばたきする時間もない、コンマ何秒の一瞬の時。

 

そういう「相手の動きを読み合いする」ことも、剣道の醍醐味なのだろう。

 

そしてその読みが当たり、一本になる一撃をくらわすことができた瞬間は、何事にも代えられない「生きた感覚を味わう」ことができる。

 

つまり、「心の目で相手の心を観ようと意識が深いほど、竹刀の先を相手に向けているだけでそれが感じ取れる」ということである。

 

これは学生時代の僕にはなかった感覚で、剣道未経験者または初心者には理解し難いことであることを最近実感して分かった。

 

 

剣豪が行き着いた兵法の極意

 

社会人剣道をスタートした現在、『観見の目付』の能力を磨いている。

 

剣豪・宮本武蔵が説く『観見の目付』を一言でいうなら、「目で見えることを目で見て、心で観えることを心で観よ」というべきだろうか。

 

どのような仕事でも、どのような人でも、どのような現象でも、「相手の心の動きを把握する」ことができれば、スムーズに対処することができる。

 

『将棋』や『オセロ』などのボードゲームのように、次の一手を読んで先回りすることが可能ならば、その時点で『詰み』は完成したようなもの。

 

『詰み』を剣道でいうならば、『一本』となる有効打突になる。

 

気と竹刀を交え、その『一本』を実現させるために、「先を読む」心眼を養うように意識する。

 

それがつまりは、目には見えない「心と心がぶつかる勝負」こそが、目に見える「技と技がぶつかる勝負」の前におこなわれているということ。

 

 

まとめ

 

「剣道が人生に活かされたことは?」と問われれば、「物事・対人・社会・時代の先々を、心を先読みするチカラが自然と養われていたこと」と答える。

 

僕自身、『スプレーアート』以外でも理想を現実化させてきた現象はすべて、剣道で学んだ武士道の精神がベースとなっている。

 

今はその答え合わせを、楽しんでいる最中。

 

「剣道即人生」という後悔しない生き方。

 

剣道の稽古が、人生で道を切り拓く心身づくりに直結している。

 

そして、「実社会で活用できるスキルとして心身ともに練磨可能」と断言できる今、さらなる向上を目指している。

 

やはり、この道に終わりはない。

 

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