原液。

何かをカタチにすることは、
自分の本質、『人生の原液』を絞り出すということ。

その原液が濃ければ濃いほど、人に影響を与えることになる。

例えば、「作家」として文章を書いて本を出版するのであるならば
蓄えた知識や経験を文にすることがその行為である。

これまで培ってきた原液をそのまま抽出するのか、
それとも原液を薄めて出すのか。

実年齢よりも濃い原液を持っている人は、
言葉や文章が鋭利な刃物のようになっている場合が多い。

あまりにも強烈でナイフのように刺さる文章を書き出すと
多くの人には届かないことはもちろん、受けた人は
人生が一変してしまう可能性すらある。

自分で執筆・編集して製本まですべて自費で行う
『自費出版』なら、内容関係なく本として世に出すことはできる。

その場合、当然、本屋に並ぶことはほぼ皆無であり、
販売も自分自身でやらねばならない。

しかし、費用はもちろん出版社がバックについて、
表紙や帯、写真、目次構成などサポートしてくれる
『商業出版』は、そう簡単ではない。

多くの作家の卵がこの『商業出版』を目指して、小説や絵本など
執筆しているのが現状だが、これを実現できる人はごく稀である。

それは、『商業出版が決まる確率は0.3%』という理由からだ。

本を出したい人が100人いても1人決まったら万々歳である。

無名作家が出版社から本を出す具体的な方法はまたの機会にするが
いづれにせよ、作家の原液が最重要なことは変わりはない。

作家の生命とも言える『原液』をどの割合で
どんなカタチで出すのかによって、人生は変わっていく。

誰もが経験していることだらけの人生は、『原液が薄い』とも言える。

薄いならば、時間と労力を費やして濃くしていけば良いのだが、
その努力ができるか否かはその人次第であろう。

逆に、原液が濃い人は様々な料理の仕方がある。

炒め物、鍋、蒸し物、ソースなどバリエーションが増えるわけだ。

しかし当然ながら、原液ごと飲んでも濃すぎて吐き出してしまうだろう。

原液が濃いならば、薄めるしかない。

原液を薄めることで、万人受けする創造物を抽出することができる。

しかし、「薄め過ぎたカル●スはおいしくない」と感じるように、
適度な調整が必要なのである。

出版でいう「中身が薄い本」というのは、
作家の人生の原液を水でかなり薄めたようなものだ。

けれど、濃ければ良いというわけではないことは前述したとおりである。

ここからが重要なのだが、原液は出せば無くなっていくということだ。

濃い原液を出せば出すほど、中身はどんどん減っていく。

中身がカラになれば、補充するか、他人の原液を出すしかない。

だから原液は大切に、適度に希釈して
世に出すことが重要になっていくのである。

お笑いの世界でも、アートの世界でも同様である。

『一発屋』と言われるお笑い芸人は、
自分の貴重な原液を100%一芸に費やしてしまい、
カラになることに気づくころには使い果たしている。

後の祭り、ということだ。

アートの場合は、『一発屋』のその一発すら発射することが
できず生涯を終える芸術家は少なくない。

非常にシビアな世界である。

だからこそ、原液を大事にしなければならない。

いずれにしても、原液はその人の人生そのものであり、
思っている以上に価値があるのだ。

自ら執筆して書き上げた初の著書

『金なし! コネなし! 才能なし! でも 人生を後悔しない“僕が選んだ生き方”』

を出版して、この原液について深く学ぶことができた。

 

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