「ZONEについて詳しく教えてほしい」

自伝本『金なし! コネなし! 才能なし! でも 人生を後悔しない“僕が選んだ生き方”』は自費出版ではなく、出版社が万人が読めるように原稿から各部分を削除して製本したものなので、作家として詳しく載せられなかったことは、事実、たくさんある。

その中の一つとして、超人的な能力を発揮する究極精神領域
ZONE(ゾーン)について、今回は述べていくことにする。

 

ZONEとは、人間が没入できる究極の精神領域の境目である。

そして、『ZONE』とはどんな現象かというと、一時的に
能力が急上昇する、または限界を超えることを指す。

 

野球でいうなら、ピッチャーが投げるボールの縫い目が見えるほどスローに感じたり、まだバットを振ってもいないのに、決めた方向にホームランを打てる確信を持てたりする現象だ。

イチロー選手のような一流のスポーツ選手は、意識してZONEに入って最高のプレーをされている。

しかし、プロのスポーツ選手でなくとも、マグレでその状態に入れる時がある。

 

意識的にしろ無意識にしろ、自己の精神状態が上手い具合で振り子のように左右し、そのバランスを保ち続けながら、己が消えたような感覚。

耳に入る音が遮断されて、自分の周りだけ特別な時空間ができあがる。

その時空間内では、スピードの遅速はもちろん、パワーの強弱、五感の鋭さにも上限はなくなる。

 

「本当にこれは自分がやったことなのか?」

通常状態に戻った瞬間、ZONEに入った本人すら驚く不思議な感覚である。

 

当然、このような経験をもとにした文章を読んだからといって、すぐこの境地に入れるわけではない。

(ビリがトップに突き抜けるための習得は容易ではない)

 

そして、運良くZONEに入るマグレがある以上、さらに奥先の領域が存在する。

それを僕は、『空(くう)の領域』、『神が降りる場所』、『真空状態』などと呼んでいる。

 

29才で物質的財産をすべて捨てて出家したゴータマ・シッダールタ王子:仏陀(お釈迦様)が、35才で菩提樹の木の下で悟った境地が、まさにこれである。

 

「心を空(くう)の状態にすべし」

「この世の悩みを消そうと遮二無二動くのではなく、まず我を無くせ」

「弦は緩みすぎても張りすぎても、綺麗で美しい音は奏でられない」

……

そう悟るまでに、身体を痛める修行をしたり食事を断ったり
瞑想したりと、様々な修行をこなしていったわけだ。

その内容を知ると、かなり厳しくて誰もができることではない。

よって脱落者は多く、悟りの境地に達する覚者は、必然的に少数になる。

 

ちなみに、仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教など世界には多くの宗教があるが、僕は10代の頃からどの宗教・政党・流派にも属さないと決めている。

それはなぜかというと、真理へ到達する(悟る)までの道のりが最速ではなく、遠回りになることを深く理解しているからである。

そして当然、最速で行く一本道が存在することを確信しているからだ。

 

 

究極精神領域ZONEは、空の領域に入れる第一の扉のようなものである。

 

サッカーやバスケットボール、バレーボールなどメジャーなスポーツはもちろん、日本古来の武道の同様にそれらの領域は存在している。

 

そう言い切れるのは僕自身が、剣道でそれを体感しているからにほかならない。
※本参照

 

柔道・合気道など身体の動きがある武道を『動の武道』と称するならば、作法など最低限の動きだけがある茶道・華道などは『静の武道』と称することができよう。

そして、その『静の武道』にも、究極精神領域はあると断言できる。

 

静の武道の中でも、もっとも心が映し出され、かつ
他人でも良し悪しの判断つくものは、『茶道』である。

(緑茶・紅茶・中国茶・ジャスミン茶などお茶全般)

 

なぜなら、同じ茶葉と同じ水を使ったお茶でも、淹れた人によって味や香りが変わるからだ。

さらには、飲み終わった後の効果・効能までもが変わっていく。

 

Aさんが淹れたお茶は、フルーティーな香りがして優しい味がする。

Bさんが淹れたお茶は、体内に着火されたような燃える感じがする。

Cさんが淹れたお茶は、雲に浮いたような感覚になる。

 

不思議だと理解できない人もいるが、こういう現象が実際に起こるのだ。

 

ではなぜ、同じ茶葉・水を使ったとしても、まったく違う感覚のお茶に仕上がるのだろうか。

量も正確に同量にしても、なぜ、味も香りも余韻も変化してくるのか。

 

それは、心・精神の状態が人によって違うからである。

 

心とは目に見えない非現実的なものだが、確実に存在している。

(心がなければ喜怒哀楽をとどめておけない)

 

お湯を沸かして、茶葉のグラムをはかって、茶器にお湯を注ぎ、陶器にお茶を点てる。

この誰でもできるであろう一連の流れで、心は現象化する。

 

それはほんの、たった数分のこと。

そのうちに、一杯のお茶として淹れた人の心が鏡のごとく反映されるのだ。

「生命エネルギーが液体に入る」、とも表現できる。

 

それは、淹れる人のエネルギーが良くも悪くもお茶に映し出される。

自信があろうがなかろうが、語らずも見抜かれるのである。

 

単に「おいしい」という味覚だけの満足ではなく、
飲み終わってからの人生がプラスに変化していくような液体。

 

そのような、雲を突き抜ける勢いのあるお茶を今後も飲み続け、
また、必要としている人に淹れ飲ませたいものである。

 

それには、意識的にZONEに入り、それを突き抜けて超え、空の領域に入りとどまる強固で柔軟な精神と赤ちゃんのような純粋無垢な心に回帰することが必須なのだ。

 

 

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