久しぶりにスーツケースではなく、バックパックを背負って旅してきた川名慶彦です。

石を拾い集めて大事に保管していた少年時代を思い出しました。

 

聖域に住む水晶たち

 

巷によくある『タイガーアイ』や『マカライト』など、いわゆる『パワーストーン』の中に『水晶』がある。

 

数年前から玉石混交の『水晶』には注目していて、自ら実験を繰り返していたが今回、公開できるほど明確に分かることになった。

 

それは、旅の最中、60才弱ほどの男性と出会い、

「神社でつかわれる水晶、とりにいく?」

という会話になって後を付いて行ったことがキッカケだった。

 

家系はもちろん素性を明かしていないにも関わらず、僕にそう話してきたのはその「水晶を採る資格がある」ということらしい。

 

「標高1500以上ある山の中だからけっこうツラいけど」

「場所の公言禁止や山のマナーを守るなら」

 

その誓約の上で向かったところは、人がまったくいない山奥で携帯の電波が入らない緑と水と砂で覆われた神秘的で不思議な場所だった。

 

その『神水』とも呼べる水で流される砂の中に本物の『水晶』(本水晶)が眠っている。

 

そこで初めて「天然の本水晶」を見たが、白ベースの半透明の石で太陽光をあてる綺麗に光る。

 

余談だが、クリスタルショップなどで売られている「人口の加工水晶」は、文字通り、溶かして合わせてクリアに見せているもの。

 

透明の方が見た目は綺麗で、なんとなく効果がありそうだと思わせるのは女子ウケを狙っているからだろう。

 

見てくれ重視のアクセサリーとして使うならともかく、能力向上や心のクリア化など「現実に活用できてなんぼ」と考える(クリスタルショップ店員に嫌われそうな)僕は、人生をプラスにするホンモノの石を追求していた。

 

 

本水晶と加工水晶では雲泥の差がある

 

効果や使い方は興味がある人だけに公開するとして、「自然の砂の集まりの中から本水晶を見つける」という行為が非常に不思議でおもしろかった。

 

簡潔にいうならば、

「見つけようと思って探すと見つからず、探そうと思わないで探すと見つかる」

という文章では伝えにくい現象。

 

心を無にして見ると、そこに在る。見つかる。手にする。

 

確かに物質として目の前に存在しているが、意識が働くと見つからなく、無意識が働くと見つかる。

 

つまり、「人間が探す」のはではなく、「原石(本水晶)に見つけてもらう」というわけである。

 

無心状態で探すとポコポコ、本水晶を発見できた。笑

 

ZONEに入るとまるで砂浜の貝殻拾いのように大小問わず、綺麗な本水晶をつかむことができた。

 

存在する場所で探しても、本人が見つけられなければ、見つける心の眼がなければ手にすることはできない。

 

「ホンモノの水晶を採る資格」とは、「己の心が決める」ということを学んだ。

 

 

まとめ

 

「巷にあるパチモンのパワーストーンは実際は効果がない」ということはだいぶ知られてきたが、まるで苦行のように、裸で冷水に浸かってまでホンモノの『本水晶』を採取するこのサバイバルな冒険は楽しかった。

 

標高1500以上に住む人はそういないだろうが、その奥地には霞を食う『仙人』なる人物が住んでいるのかもしれない。

 


来月出す電子書籍「凡人革命 ~人生を変えて天才を凌駕する9つの方法~」の表紙はこれ。

 

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